カナダで築くキャリアパス|センテニアルカレッジ卒業。野田龍樹さん

カナダで10年以上に渡り留学・教育カウンセリングを手掛けてきた海野芽瑠萌氏が「キャリアパス・キャリアアップ」に鋭く切り込むインタビュー企画。
今回お話を伺ったのは、夫婦で2000年にカナダに移住し、現在は大手日系商社に勤務する野田龍樹さんです。トロントのセンテニアルカレッジでメカニカルエンジニアリングを学んだ後、苦労しながらもどのように就職・キャリアステップをしてきたのか、レイオフや転職などの経験を通して体感したことなどカナダで働くことのリアルに迫ります。

- 名前…野田龍樹さん
- 職業…大手日系商社に勤務
- 卒業校…センテニアルカレッジ(メカニカル・エンジニアリング・デザイン)卒業
- カナダの大学・カレッジ進学に興味がある
- ワーホリで働きながら留学したい
- カナダで就職・移民が気になる
- Co-op、看護師留学など多数取り扱い
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語の必要性を感じてカナダへ
海野: カナダに来ることになったきっかけを教えてください。
野田: 日本で半導体業界のエンジニアをしていた時に英語の必要性を感じたことがきっかけです。
韓国のエンジニアとミーティングする機会があったのですが、私たちは通訳を連れて行ったのに対して韓国の人は英語の上手い下手は別として自分で伝えたいことを一生懸命話そうとしてくれていたんですね。
これから仕事をしていく中でやはり英語は必要だよなと強く感じましたし、英語が全くできないことが恥ずかしくて、それなら思い切って英語を勉強しようと思ったんです。やるなら英語環境に行ってしまえと思っていたら、ちょうど妻からもカナダに行きたいという話があったので、決断することになりました。
海野: その後はすぐカレッジに進学されたんですか?
野田: 27歳でカナダに来て、最初は語学学校に通いました。卒業後に付属のセンテニアルカレッジに上がれるということでしたが、正直英語力はゼロでTOEICは300点くらいだったと思います。
日本では工学部でケミカル・エンジニアリングの修士まで取っていたのですが、仕事としてはメカニカル・エンジニアリング・デザインの技術者という、いわゆる図面描きをしていました。
カナダに来て仕事を探すとなった時に学歴と職歴は合っていた方が職を見つけやすいと聞いたので、カレッジではメカニカル・エンジニアリング・デザインを2年間学びました。
海野: 当時も卒業後にワークパーミット(PGWP)は取得できましたか?
野田: 実は卒業前の2001年に永住権が取れたのです。専門職カテゴリーでカナダに来てすぐ申請していて、日本の学歴と職歴で点数が足りました。アメリカの9.11前だったので、永住権取得がだんだん簡単になっていた時期だったということもあると思います。
海野: そうだったんですね。カレッジ在籍中にお子さんが生まれたと聞きました。
野田: 1人目はそうです。2人目は働いている時でしたが、1人目の時は学生で仕事もしていないし英語もまだまだで、ここで生きていけるかもわからない、妻も仕事をしていないという状況でした。意地でも卒業して仕事を探してやるしかないという気持ちでしたね
時給12ドルで就職レイオフまで経験
海野: 振り返って、進学と就職のどちらがしんどかったですか?
野田: もちろん就職です。卒業前からレジュメを山ほど出しましたけど全然相手にされませんでしたね。結局コンサルタントの紹介で、日系カナディアンの人が経営している会社でマニュファクチュアリング部門にドラフターとして時給12ドルで雇ってもらいました。
海野: やるしかないですね(笑
野田: その会社には半年ほどお世話になって、ラッキーなことにその会社と日本の会社が合弁でこちらに工場を作るという話にありました。私には成形の経験があったので、そちらに転職ということになりました。プロダクション全ての責任者のようなポジションで、そこでは3年半働きました。
海野: その会社から次に転職しようと思ったきっかけは?
野田: 日系の会社だったこともそうだし、働いている人が拙い英語を話す人がほとんどだったので、このままでいいのかなと思ったんです。日系企業だと中のやり方は日本なんですよね。せっかくカナダまで来ておもしろくないし、ローカルで自分の実力を試してみたいという気持ちもあったので、自動車の部品メーカーで100%ローカルの会社に移ることにしました。そのときは職歴もあったので、転職は意外とスムーズに運びました。新しい会社では新規ポジションで採用されたのですが、1年しないうちにリーマンショックの前だったということもあって、業績が傾いたからとレイオフされてしまったんです。
海野: まさかレイオフだなんて。急に告げられてそのまま「さよなら」なんですか?
野田: 朝会社に行ったら社長に呼ばれて、実はこういう理由でレイオフすることになったと言われました。いつからかと聞くと「今から」と言われて、荷物をまとめてそのまま帰りました。それから半年ほど無職でしたが、オンタリオ州のロンドンにあるスチールを扱っている会社でセールスエンジニアとしての仕事が見つかったので、2007年からロンドンに移り住むことになりました。
5回転職し給料UPのサクセスストーリー

泥臭いけどサクセスストーリーです。
海野: 新しい会社も完全にローカルの会社だったのでしょうか?
野田: そうです。とても尊敬できる上司に恵まれて、日本人の女性のカナダ工場社長と直属のカナダ人の上司からはたくさん学ばせてもらいました。でも女性の上司は一身上の都合で会社を退職されて、カナダ人の上司は会社が買収されて社内の雰囲気が変わってしまったのを機に退職してしまって。このままでいいのかなと思ったときに、私が現在働いている日系商社が人を探していると聞いたので一度面接を受けたんです。
海野: でもそのときは採用には至らなかったのですよね?
野田: そうなんです。じゃあどうしようと思っていたら、尊敬していた上司2人が以前の会社の下請けだった会社に就職したんですよ。その2人から声をかけてもらって、じゃあそっちに転職しますという流れになったわけです。給料がぽんぽんと上がって、泥臭いけどサクセスストーリーですね。
海野: 日本だと転職しました、レイオフされましたなんてことはそんなに起きないと思うので、カナダならではですね。それから再び現在の会社への転職話が持ち上がったのはどういう経緯があったんですか?
野田: 1回目の時、実は採用の直前までいったんですが残念ながら別の人が採用されてしまいました。その約3年後、その人が辞めてしまったようなのでもう一度採用募集がかけられて、私が採用されることになりました。私にとって今の会社は6社目ですが、これまでで一番長く10年働いています。社内異動を経て今の仕事は自動車業界関連ではありませんが、変圧器のコア向けの鉄材コイルをカナダのお客さんに売っています。
互いをカバーし合い楽しい夫婦移住を

カナダに来た当初は英語に苦しみました。
海野: カナダ生活の中で一番つらかったことは何ですか?
野田: 全部楽しかったと思っています。でも英語は苦しみました。カナダに来た当初、銀行口座を作りに行った時に何を言われているかわからずに口座を作れなかったことがありました。自分は英語ができないんだと相当落ち込みましたね。でも今ではこうして生きていけるだけのレベルにはなったので、なんとかできるものだと思っています。
海野: さすがポジティブ。現在は夫婦移住を目指す方も多くなっていますが、野田さんの経験から夫婦でこういうことをしておけばよかったと思うことはありますか?
野田: お互いに理解して、ちょっとしたところを互いに助け合っていけばいいと思います。お互い初めてで何もわからない状態だと思いますが、しんどいのも人生。苦労やしんどさはその時でしか味わえないので、それをひっくるめてカナダ生活を楽しめればいいと思います。今は日本人も増えているし日系の飲食店も多いし、挑戦しやすい環境がありますよね。
海野: カナダで子育てもされたわけですが、子育て事情に関してはどう感じていますか?
野田: 例えば良い大学に行って良い会社に、ということを考えるのであれば日本の方が良いかもしれないし、ある程度子どもの自由を考えるならカナダの方が良いかもしれないですよね。でもカナダも競争が激しくなっているので、日本とあまり変わらないことも多いのかなという印象です。カナダの良い点を挙げるとしたら、何歳からでも自分が学び直したい時にそれができる環境が整っていることだと思います。門戸が閉まっていないのは非常に良いですよね。
「失敗」しに行くことが大事

日本から外に出たいという方から相談があります。
海野: これからの目標や次に何かしたいと思っていることはありますか?
野田: 特に考えてはいませんが、興味があることが出て来ればどんどん新しいことをやっていきたいですね。私は振り返るのは好きじゃないので、常に何か道がないところに道を作っていきたい気持ちがあります。
海野: 弊社には、日本で社会人を経験したけどやっぱり日本はしんどいから外に出たいという相談が多くあります。そういう方にとって大先輩である野田さんが何かアドバイスするとしたら、どんな心構えでいるべきだと伝えたいですか?
野田: そもそも構える必要はないですよ。何かやりたいと思うのであれば、そこに意思があるわけで。だったら一歩進んでやってみよう、ダメなら日本に帰ればいいじゃんって思います。その一歩を踏み出すためには心身ともに健康じゃないとダメだし、自分のことを信じて自分を好きになることが原動力にもなると思っています。
失敗したらどうしようという気持ちがあると思いますが、失敗しに来ればいいんですよ。失敗から学ぶことってたくさんあって、例えばカナダ生活が合わなかったから「失敗した」と思っても、日本の生活の方が合っているんだと自分を知ることに繋がる。これは失敗ではないですよね。失敗が怖いならむしろ失敗しに行けばいいじゃないですか。成功を夢見るのではなく、失敗しに行きましょう。
海野: 野田さんの人生の教訓を教えてください。
野田: とりあえずやってみる、自分を好きになるということですかね。そうすれば前に動くことができると思います。
対談を振り返って
もともと野田さんとはプライベートで初めてお会いしましたが、いつも笑顔で、しんどそうにしているところを見たことがありませんでした。いろいろなお話をする中で、もちろん大変なこともあるけど、それを笑って話せるのはとても素敵なことだなと思っていました。お話を聞いて、失敗を失敗と思わないのが野田さんの強みであり、それを積み重ねてきて今も笑えているんだと感じましたし、不安を抱えている若い人たちに「失敗してもいいじゃん、こんなにハッピーな人もいるんだよ!」というのがもっと伝わったら嬉しいです。また、私よりも先輩である野田さんが一線で頑張っていらっしゃるというのは刺激にも勉強にもなるので、良いお話を聞けて非常に嬉しかったです。

海野 芽瑠萌(Merumo Unno)
日本では法学部で学び、日本の英会話や、小中学生の英語教育に関わる。2008年に渡加。現地留学エージェント、語学学校での経験を経て、留学エージェント・教育コンサルティング「MYNDS Inc.」の経営を行い、グローバル人材の育成に取り組む。 2019年からは、トロントのビジネスサポート団体新企会の会長として、日系コミュニティーに貢献している。